original



著者:土屋遊
装画:我喜屋位瑳務
デザイン・DTP:高瀬克子
ウェブサイト「WEEKLY TEINOU 蜂 WOMAN」や、オリジナル&レアセレクトショップ「はちみせ」などの活動をされている土屋遊さんが、2014年に発行した『ふし日記』の再版です。
「- 毎日、死にたいと思っていた -
男との破局により、精神が悲鳴をあげ人格が一変した1年をまとめて出版した「ふし日記」。あれから10年の時を経て加筆・修正した『改』です。
絶望にがんじがらめにされていたドス黒い1年。
10年ぶりに再読してはじめて気付いたことや、現状報告、振り返っての心境、そして、前回はなかった“発行した理由”、『改』ではそれが明確にあります。」
(著者サイトより引用)
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二〇一三年九月
某日
最近泣き上戸じゃなくなった、感受性がなくなったのかと先日の日記で書いた。その翌日に、わたしはドラマ『あまちゃん』で泣いた。東京に憧れているユイという少女が、「怖くて(東京に)行けないよ」という台詞だった。
映画もドラマも本も、自分の中のなにかとシンクロしたときに思いがけず涙がこほれることがある。恐怖で足がすくむ。逃避かもしれないし拒絶かもしれない。自分でもわからないまま「こわい」にまとめて、一歩も動けなくなったことを思い出していた。
ユイの発したものではなくて、自分の声に変換してわたしは泣いた。
「怖くて行けないよ」
ここから前に進めない。
感情移入ではなく、まだ自分のことだけで精一杯なのかもしれない。だから他のモノを受信する力がないのではないか。自分を精神的に束縛しているものが消えた時に、また何かに気持ちを揺さぶられる余裕が生まれてくるのかもしれないし、一度なくしてしまったものはもう戻ってこないのかもしれない。
セミの死骸はたいてい仰向けだ。あられもない姿でコンクリートの上で硬直している。今日もビルの谷間にヤツはいた。(思う存分鳴けたー?交尾はできたー?)と思いつつ、そっとつまみ上げて手のひらに乗せてみる。ガードレールの下に少しだけある土の上に置いた。コンクリートの隅でもいいのに、なぜか土を探してしまう。土に眠りたいと思ってもいないわたしが、なぜ土に固執するのだろう。