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著者:蟹の親子
当店のディレクターも務めている蟹の親子さんが、2022年から2023年に自主制作した『にき』『浜へ行く』の中の、「ささやかな日記論」パートを加筆・修正してまとめたもの(当時の日記は掲載されていません)。
2020年から2024年にかけて「日記ブーム」と称され、日記をつけ始めたり、自分の日記を本にしたりする人がそれ以前に比べて散見されるようになったいま、あらためて「日記」そのものや「自主制作の日記本ブーム」について考える、論考風エッセイです。
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<目次>
はじめに
「日記ブーム」と「日記本ブーム」をどう捉えるか
日記をつける日々
日記を続けること、それらを読むこと
どうして「形」にしたくなるのか
日記の終わりがくる
日付について
日記アイ・「思う」使いすぎ問題
武田百合子
日記のたね
あとがき
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前のほうで、私は日記を書くときの心の動きに惹かれると書きましたが、日記やそれに近い性質の文章を書くきっかけとなったのは、何か打ち明けてみたい気持ちを持て余していたことも関係していたのだろう、と振り返ります。
(中略)
日記を限定的に公開したり、本という「形」に残したりするなかで、私はどんなに厭世感を抱いていたとしても、忘れたくないものごとがあるのだ、と気づきました。そこには嘘や、自分を誤魔化している感情も、混じっているかもしれません。日記の虚実や真意は、確かめようがありません。
けれど今はひたすら、ブームの渦中で浅はかにも日記をつけ続けています。百年後まで残る立派なものではありませんが、おーいここにいますよ、と、いまだ誰かに呼びかけているつもりなのかもしれません。
(p.61-62「日記アイ・「思う」使いすぎ問題」より抜粋)