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著者:柴沼千晴
「犬まみれは春の季語」「頬は無花果、たましいは桃」に続く、2023年6月から11月の日記。毎日撫でていた近所の地域猫がいつの間にか姿を現さなくなったこと、過去に観た誰かと観た映画をもう一度ひとりで観たこと、”親密圏”という言葉を知ったこと、何ら変化のない、もしかしたら少しだけ変化のある、思ったことをあったことにするための記録。
7月23日(日)
とんと起きられなくなったので寝ていた。窓からのあかるい光に誘われて少しだけ散歩をして、夏にしか行かない八百屋で2個で330円の貴陽を買った。いつものコーヒー屋に寄ってプラムのマフィンとコスタリカ、わたしが日記を本にするのは、誰かを羨んだりやさしくできなかったりする自分とそれでも暮らしていく覚悟を決めるようなことでもあると思った。いつだったかに古本で買った『現代思想 2021年9月号 特集=<恋愛>の現在 -変わりゆく親密さのかたち-』を読む。恋愛はかねてより親密さとして研究されてきたものらしい、そのまま親密さについて調べていたらハンナ・アーレントが展開した「親密圏」という言葉を知る。インターネットには〈愛などの情感的結合を基礎に結びついた人間関係からなる領域であり、具体的で代替不可能な他者との関係が営まれる場。 具体的な生の配慮=ケア(休息、養育、介護等)がなされる場であるとともに、唯一的な人格に対する承認をひとが得られる場でもある。〉と書かれていて、わたしはその言葉の存在に、世界から認められたような気分になってしまったのだった。チャットモンチーをかけながら、辛いスープをつくって食べる。